人を信じる?お前が信じてるのは宗教だろうが


という呪いのことばが口からつい出てしまった「たけしの教育白書」(先週の土曜日放送フジテレビ)だけれど、なにが阿呆らしいと思ったかって、埼玉のある学校で「人を信じる」というスローガンを掲げて無人購買をやってるんだけども、収支が合わないとかで全校800人にアンケートを配るわ、校内放送で涙ながらに「名乗り出てください!」と訴えるわ、「今までみんなで守ってきた『伝統』(と言ってたかは定かじゃないんだけど)を平気で破る人がいて悲しい」だとか学校中を巻き込んだエライ難儀な問題に発展したそうなんだけど、いや、本気で「くだらねー」と思ったのは、その問題になった「収支」っつうのが



             50 円 の 黒 字



だっつうことで、つまり誰かが間違えて50円余計に払っちゃったってことなんだが、どうして50円黒字になることが「人の心を信じる」に反するのかさっぱりわからんくて、いや、つうかそれ以前に赤字になった時があったとしても「値段を間違えた」とか「収支計算ミスした」とか「無人購買という文化/システムが理解できなかった」とか色々あるかもしれないわけで、そうした些末なことをとりあげて「人の心」がどうだとか「人間力」がどうだとか「品格」がどうだとか「コミュニケーション能力」がどうだとか言ってる(かどうかは知らんが)購買委員のお前、そうお前だよ、お前の信じてるのは人の心じゃない、お前が本当に信じてるのは「収支の数字」で、もっと言えば、「収支の数字」を短絡的に「信じる心」に結びつけちゃってるお前の学校の「宗教」であって、結局お前のやってることはっつうと、その宗教の枠の中で収支の数字を崇め奉って偶像崇拝をやってるようなもんで、つまりはちっとも人のことなんか信じちゃいないっていうことで、その証拠に多少なりとも人を信頼してるんなら、「誤差が出ちゃったけどさ、まあ、人は間違えちゃうもんだし仕方ないかなー」で済むだろうにそうしないで、粘着的に追求してあげくは非難したりする優等生マインドを見るにつけ、安易に他人の心を裁けるお前の「心」って何様?という憤りがわいてきてその結果至った結論としては、やはり究極の人間力は、他人様の「人間力」を裁けるだけの厚かましさがないと手に入らないってこととか、究極のコミュニケーション能力は他人様のコミュニケーションを「私と違う」ではなくて「変だ」と言えるだけのナイーブなスキルのこととか。



と、近所の吉田さんが言ってました。私は言ってませんよ、私は。